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もう何回目かわからないけど、またモモを読んだ。今のこの転換点に気になった点をメモ。
「人生でだいじなことはひとつしかない。」男はつづけました。「それは、なにかに成功すること、ひとかどのものになること、たくさんのものを手に入れることだ。ほかの人より成功し、えらくなり、金もちになった人間には、そのほかのものー友情だの、愛だの、名誉だの、そんなものはなにもかも、ひとりでにあつまってくるものだ。きみはさっき、友だちがすきだと言ったね。ひとつそのことを、冷静に考えてみようじゃないか。」(p.141) 「人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんできめなくてはならないからだよ。だから時間を盗まれないように守ることだって、じぶんでやらなくてはいけない。わたしにできることは、時間をわけてやることだけだ。」(p.236) こうして子どもたちは、ほかのあることをわすれてゆきました。ほかのあること、つまりそれは、たのしいと思うこと、むちゅうになること、夢見ることです。(p.276) 「それは、どういう病気なの?」 「はじめのうちは気のつかないていどだが、ある日きゅうに、なにもする気がしなくなってしまう。なにについても関心がなくなり、なにをしてもおもしろくない。この無気力はそのうちに消えるどころか、すこしずつはげしくなってゆく。日ごとに、週をかさねるごとに、ひどくなる。気分はますますゆううつになり、心のなかはますますからっぽになり、じぶんにたいしても、世の中にたいしても、不満がつのってくる。そのうちにこういう感情さえなくなって、およそなにも感じなくなってしまう。」(p.362) (モモ(文庫版)より) 朝、バスを降りたら、日差しが眩しくて目を細めた。春なんだなあと思った。ふと頭の上から、小鳥がさえずるのが聞こえた。しばらくぶりだった。随分聞いてない音だった。
もうすぐ春だね。 一年前と世の中は変わったのに、一年前とおなじ生活を送っていることへの違和感がある。
「何かが変わった時こそ、それまでと変わらない生活を送るのがいいんじゃないの」 「変わったと思ってるようでも本質的には何も変わってないよ」 自分の中にもいろんな反論の声がある。 だけどね、だけれどもね。この地に住み続けることは、自然に背を向けることになる。その中で生かされているのに? 根拠はないけど、何となく熊本か鹿児島に引越したい。いいところだった。 # by mayu_0226 | 2012-03-05 21:12
名前も知らないたくさんの人と毎日すれ違う。その中で一部の人と、知り合い、友達、同僚、あるいは家族になる。さらにその中で一部の人と、関係を超え、時間を超えた関係を育てていく。
三段の噴水。その中の水はいつも循環していて、とどまることなく姿を変えて高く上がってはまた落ちてくる。ある水は下から上へ順々に上がっていき、ある水は足元一番下の池をぐるぐると守る。 無数のグラデーションの中にある人間関係、それを定義したり、ほかの誰かに説明するための言葉は随分少ないものだと思う。「私とあなたはどんな関係に分類されるのか」という問いそれ自体がナンセンスなんだろう。 親子、友達、夫婦、、、、。 役割や関係からの定義を抜け出して、人と人として向き合う時に、ラベルの縛りを越えた関係を初めて作っていける。
よしもとばななさんの本はこれまで読んだことなかった、って書いたけど、違ってた。「デッドエンドの思い出」持ってた。五年位前に読んだんだった。
リビングでテレビを観ながら犬のセーターを編んでみたり、本読んだり。今も私の膝の上で犬が寝息をたてています。
読書メモ 「相手が必死に整合的な議論を立て、自説の正しさを検証しようとしているときに、ひとこと「そんな話をしているんじゃない」と一喝して、相手に足元が崩れ落ちるような無力感を与えるこのテクニック」「無力感を感じさせて、「どちらが権力的に上位者であるか」を思い知らせる技術の洗練(P.74)」 「「他者と共生する」というのは、「他者に耐える」ということではありません。「他者」を構成する複数の人格特性のうちにいくつか「私と同じもの」を見出し、「この他者は部分的には私自身である」と認めることです。(P.135)」 「人はどれほどわかりにくいメッセージであっても、そこに自分に対する敬意が含まれているならば、最大限の注意をそこに向け、聴き取り、理解しようと努める。そういうものなのです。だから、もしあなたが呑み込むことのむずかしいメッセージを誰かに届けようと願うなら、深い敬意を込めてそれを発信しなさい。(P.206)」 「呪いの時代」内田樹 スイート・ヒアアフター(吉本ばなな)を読みました。彼女の本は食わず嫌いでこれまで読んだことがなく、初めてでした。一言一言ゆっくりページをめくりました。いた人がいなくなる、あったものがなくなるのはこういう感じだとおもいました。一方で、亡くなった人は永遠だともおもいました。二十歳の頃、彼女を交通事故で亡くした友達の話を思い出しました。 「うちで作ってるんです」
「いつもは畑に出てます」 ピアノの帰り道、新宿伊勢丹地下へ寄った。週末だからか、地方の特産品がたくさん来ていて、今週の三重フェア以外にも、呼び込みの人が立っている。 梨が食べたいなと果物売場をぶらぶらしていると、試食コーナーで係の人が「これ、うちで作ってるんです」と。見ると一個1000円もする。一切れ試食させてもらうと、甘〜い、みずみずしい!「これ、おいしい!けど、高いですねぇぇ」「でもこの大きさだから、普通の梨の二個分はありますよ」たしかに。迷ったけど、おいしかったのでひとつお買い上げ。「いつ食べます?」「今日夕食のあとに」一番食べ頃の梨を選んでもらった。冷蔵庫で冷やした後、食べる少し前に外に出しておくといいんだって。 三重フェアのお茶。父親より少し年上くらいの男性がお茶をいれてくださる。服装は伊勢丹の一店員なんだけど、「家族でお茶作ってるんです」と。香りがたっておいしいお茶だった。隣に立ち別の人に接客してる男性は息子さんなのかな。結局そのお茶は買わず、隣のお団子を買った。(おじさんごちそうさま、ごめんね) 気がつくと、デパ地下で会話楽しんでる。わたし会話に飢えてた? スーパーやネット通販で買い物する。パソコンから注文、部屋まで届けてくれるのは便利だ。けど、こうして作った人の顔を見ながら買い物できるのはいい。本当はもっと話を聞きたかった、おいしい梨の見分け方とか、いい茶葉を育てる秘訣とか。 会話が足りない。もっとあっていい。 # by mayu_0226 | 2011-10-15 16:55
出張で海外のオフィスに来ています。社内にスタバみたいなカフェがあって、広い中庭に面しています。この贅沢な土地の使い方は東京では難しいですね。
日本をちょっと離れるだけで浦島太郎気分というのか、もうずいぶん日本を離れているように感じて「数日前まで日本にいたでしょ!」と言われました。確かにそうだけれど。物理的な距離は、心理的な距離にも影響するように思います。 機内で読もうと唯一持ってきた本が「人は死なない-ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索- (矢作 直樹)」で、読み始めたら止まらなくて、機内消灯になり周囲は時差ぼけ対応と眠る中、読書灯をつけて一気に読みました。タイトルだけみると荒川修作を連想していたのだけど、もっと具体的でした。おもしろかった。 そこで読んだことと、こちらへ出張に来て感じたことが混ざり合って、日本へのお土産になる気がしています。結局自分は大きなシステムの中の一部分であって、見えるもの見えないものとつながりあっている。けれども(だからといって投げ出すとかただ流されるのではなく、それでも)意思を持って手を挙げることから、すべてが始まっていく。 わけることはわかること。いろいろ分けて、これとあれはここが違う、と、物事を進めていくのだけども、一方で、それはそれとしてそのまま理解すること、つながりの中で流れてみること、も同時に大事な気がします。 初対面で飛び込み飛び込まれる、そういうコミュニケーションができるようになりたい。たとえそれが表層的なものにすぎないのだとしてもね。 # by mayu_0226 | 2011-09-21 05:10
![]() 先を生きる人とあとに続く人。ただ時系列の話。あとに続く人たちがほんの少しでも楽をできるように、彼らにとって何らか役に立てるように、自分に与えられているもの、経験とか気持ちとか、を静かに差し出す。ええ、はいどうぞ、喜んで。 科学も医療技術も、文学も音楽も、そうやって流れてきた。 大きな流れの中にあって、自分ができること。 -------- 写真は奄美の夜明け。 # by mayu_0226 | 2011-08-30 00:45
ミスチルのSTADIUN TOUR 2011 SENSE -in the field- へ行ってきた。
○セットリスト かぞえうた Prelude HOWL 未来 I'm talking about lovin' innocent world Replay 君が好き Mirror 蒼 I CENTER OF UNIVERSE 365日 ハル ロックンロールは生きている ニシエヒガシエ Everything is made from a dream 風と星とメビウスの輪 HERO 擬態 エソラ (アンコール) fanfare 星になれたら Tomorrow never knows かぞえうた 終わりなき旅 −−−−−−−−− 直前まで結構本気で雨が降っていたので、雨具の準備をして行った。けれど、会場に着いたら小さい青空すら見えてきて、ライブの間中、雨は上がっていた。桜井さんも喜んでいた。スタジアムに集まった5万人の思いが伝わるなんてこともあるのかな。 屋外ライブ編は今日が初日で、セットリストも新しくなっていた。途中、このツアー最終地の仙台に、ビデオメッセージを届けたい、と、全員でとあるアクションをして、ステージにいる桜井さんがそれをビデオに収めた。少し見た、圧巻だった。ぞくぞくした。 音ももちろん素晴らしいんだけど、映像もよかった。あからさまではないものの、繰り返し映像からメッセージが発信されていたように感じた。 桜井さんの歌う時の表情は本当にいい。解き放たれていて、好き。笑顔を見ているうち、全身全霊で、生かされている生命を毎日燃やし切っているのかな、周りの人に伝えられてるのかな、そんなことを(また)思った。 数年前ライブに行った時は、その弾けるような笑顔が印象的だったけど、今回は考え込んでいる、静かな怒りのようなものを感じた。今回、ライブの始めも最後も「かぞえうた」だった。 歌は、音楽は素晴らしいね。1993年の曲や、上京したての頃ずっと聴いていた曲や、(これまでに発表した曲は全部で180曲ちょっとあるらしい)。聴いていた時の自分の気持ちがぎゅっと閉じ込められている。そんないろんな年代の曲が思いがけず聴けるのがライブのいいところ。 ところで、怒りが原動力になることがある、ってのを思い出した。 −−−−−−− 夏休みに南の島巡りをしました。海は本当にきれいで、たくさんの魚やイルカがいて、毎日完璧に晴れて日焼けして、その話もまた次回。 # by mayu_0226 | 2011-08-21 01:16
友達のなにげない一言でひかりが差し込むことがある。
そっとひとりにしておいてほしい、 すぐに泣きたくなる、 気が散る、 眠りが浅い、 カウンセリングを受けてみる、 心理を長く学んでいたって、渦中にある自分のことは意外にわからない(そうした動機ゆえ関心を持ってるとも言える)。けど、状況を判断する手がかりが見つかれば、そこからの進み方はちょっとはわかる。 昨日は仕事帰り、妹と合流してひさしぶりに食事をした。おいしいものを食べながらのたわいもない話にほっとした。 毎日弾けるようになった、楽しい。頭で考えずに体を動かせばいい、ピアノの蓋を開けて座ってみればいい、とわかっていてもなお、できないことがある。 311前の心持ちに一歩近づいた。非常時に平常心に近づいていいのか、という疑問もありつつ、体制を立て直して次の一歩を。 あのね、乱数言えるかどうか、って、判断するひとつの手がかりなんだって。 # by mayu_0226 | 2011-06-17 09:58
「人びとが、希望を持たなくなること。人の社会に、期待しなくなること。自分が生きている社会について、諦めること。そういうムードを世の中にいつも広げておけば、『革命』にはならない。」
(小沢健二「企業的な社会、セラピー的な社会」) # by mayu_0226 | 2011-06-06 09:50
小沢健二「うさぎ!」を読み直すこと。今のヒントがある気がする。
周囲の人と自分との温度差が気になって、会社が契約している電話カウンセリングを受けてみた。けど、臨床心理を学んでたことがあるからなのか、うまく話しができなかった。 # by mayu_0226 | 2011-05-28 20:07
意識と意思を持って生きている限り、「あなたのお名前は」との問いには自分で答えられるし、
意識がなくなっても、意識がなくなる前の自分を知っている人がひとりでも周りにいてくれさえすれば、「この人の名前は」と、自分の代わりに答えてくれる。 ひとたび意識を失った瞬間、この塊が誰である(あった)かが曖昧になる。「ここにいるあなたはどこの誰ですか?」 電車の中、人込みの中、道の上、山の中、海外旅行の途中、、、 自分が誰なのかを知っている人は、自分を除くと、また家や職場などつながりのある場所以外だと、極端に少なくなる。心細い。身分証明書をいつも持ってるとも限らない。いつも人の中に囲まれていて、揺るぎも迷いもなく私は私であると伝え切れると思っていたけれど。 自分の名前がまだわからない小さいこどもが迷子になった時、認知症の人が散歩に出て帰る家がわからなくなった時、身分証明を持たずに意識を失った時、 自分が誰なのかを自分以外の誰かにわかってもらうのは思っているよりも難しい。 今朝早くに警視庁の人が来た。住んでるマンションで事故があった。 # by mayu_0226 | 2011-05-26 09:41
昨年屋久島へ行った。2度目だった。そこで、見えている世の中のつながりを強く感じた。 山は山で好き、海は海で好き、日差しも水も好き、これまでそれぞれだったものが、初めて手触りをもってつながった。 雨が降る、森の木々がその葉で受け止める、川となって流れる、海へ注ぐ、雲になる。雨が降る、 46億年このかた、地球上にある水の量は一定だという。水は形を変えながら循環している。 降った雨は、地面に注ぐ。その地面の上でお米や野菜が育つ、ニワトリや豚、牛や馬が息をする。 川に注いだ水の中で、魚が泳ぐ。ちいさい魚はおおきい魚に食べられる。おおきい魚はもっとおおきい魚に食べられる。海へ出れば、おおきい魚もちいさい魚も、貝も海草も人間に捕まえられる。 人間は食べることで生きているし、食べることでしか生きられない。 すべてがつながっている。そのつながりをすこし想像するだけでもう、息が詰まる。 クジラからセシウムが出る、タンポポが異様に背高に育つ。わたしはマスクの下で汗をかく。 「みんな被災者」なんだと思う。同時に、被災者という言葉で括り切れない何かを感じている。人類がいまだ経験したことのない状況にある。実験台というのか、野生の、直感の判断力が問われているというのか。緊急の状況にあることはわかるのに判断ができない、前例という手がかりがないからね。危険かもしれないし危険じゃないかもしれない。まだ大丈夫かもしれないし、もう手遅れかもしれない。判断できない。情報の多寡ではないようにも思う。判断できないから、危険に賭けて東京を離れるのもひとつだし、いつも通りにできることを淡々と、ぎりぎりまで続けて日々を送るのもひとつだ。 ぜんぶ夢だったらいいのに、と何度も何度も思う。肝が据わっていない。 # by mayu_0226 | 2011-05-24 19:53
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