風と小人
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美しいもの、きれいなもの、好きなものに触れると心が動く、その瞬間に近づきたい。好き:ことば、心の動き、音。
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スクーリング)イメージ編集1 前半

 コミュニケーションデザインコース3年必修科目イメージ編集1のスクーリング(前半)でした。

初日:
午前 前提講義というか、白尾先生リードで教科書「イメージ編集」を読んでいく。
午後 コンセプトドラフトを考える。テーマは文字を使った本(表紙込み16P)

2日目:
午前 朝一でコンセプト発表
午後 イラレ作業

3日目:
午前 イラレ作業、最終調整
午後 面付け、印刷、製本、講評

イメージ編集、という科目名を意識して、文字から想起されるイメージを文字だけを使って可視化することにした。のだけれど、最後の講評を聞いていると、「どれだけ面白いか」が評価されている印象を受けた。「このネタ面白いんですよ。私これ好きで」と講師がコメントする。え?そんな主観的な基準?ネタでいいの?二言目には「もっと時間があったらね。時間がないからね」それはわかってます。どのスクーリングでも同じです。時間がない中でどれだけ詰められたか、を評価する場だと思うんだけど。

もう一度やるとしたらどうすればいいのか、改善のポイントはどこなのか、今後努力が必要なのは着眼点か技術かなどなど、具体的生産的なコメントがほしいところなんですが、それを期待するのはなかなか厳しい印象。いつもながら、コミュデの成果物に期待されていること、結果の評価の視点がよくわからない。そもそも今回の課題で何を身につけることを期待されているのかからよくわからない。自分では(内面にある潜在的な)イメージを(他人と共有できるよう可視化して)編集する、と理解したのだけれど、どうやら違っていたようだ(かといって、何が正解なのかもわからないままだ)。

一般的に、成果物って

・何を表現するか/コンセプト:着想、着眼点、発想、切り口
・どう表現するか/表現手段:アプローチ、技、技術

に大別できると思っていて、見ているとどっちもあやうい。コンセプトがだめで「コンセプトは何?」と説明が必要な内容でも、見た目綺麗だったりインパクトがあればよし、とされていたり、コンセプトは面白くても、表現手段が追いついていなかったら「まだだね」となる。直感的に、多くの人に理解されるデザインを理想とすると、自分(だけ)が面白いものを突き詰めたとしても「so what?(だから何?)」となる。

デザインは問題解決だとすると、2次元での問題解決につながっていないからだろうか。自己満足というか、「楽しかったんだろうね、でもだから何?」と感じてしまう。何を持ってよしとする
/よくないとする、の視点がわからない。人に説明を求められたり、だから何?と思われたら、アートならいいけれど、デザインとしては失敗だと思っている。

美大ではコンセプトと表現手段の両方を身につけるのが理想なんだけど、通信ではどっちも中途半端な印象がある。通学の場合は入試がある&平日時間があるので、少なくとも表現技術は習得できる(量だから)。コンセプトを考えるのは、思考の体力の部分があって、美大というよりももっと広範な考えるトレーニングが必要になる。少なくともコンセプトを考えられるようにならないと、ただの作業者技術者として扱われることになるのではないかという危機感がある。
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by mayu_0226 | 2015-06-15 21:18 | Comments(0)