風と小人
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美しいもの、きれいなもの、好きなものに触れると心が動く、その瞬間に近づきたい。好き:ことば、心の動き、音。
海。やっと来た。
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# by mayu_0226 | 2011-04-24 13:09 | Comments(0)
軸がぶれている。
昨日はもうだいじょうぶだと思ったのに、今日は強い不安で体がこわばる。

逃げたい、逃げ出したい。
でも逃げ出すことは対症療法に過ぎないようにも思える。どこまで逃げたって、なにかある。空と海でつながっているもの。

今日明日の行動で生死が決まるものではないだけに、逆に静かに激しく揺さぶられている。地震の直後に一番気になったことが、日々強さを増しながら迫ってくる。

夜がこんなに怖いのは初めてだ。空が明るくなるのが待ち遠しい。眠っている間はすべてを棚上げできるから、どんな時も眠りに逃げ込んでいたのに。


空を海を、この地面を、人が安心して住めるまでに浄化するために、どうかその大きな力を貸してください。

自然が持っている浄化の力に、固唾を飲むような思いで希望を寄せる。


こないだメールをくれたあの人なら、こんな時この現実をどう受け止めているのだろうか。彼の「ほんとうはね、」を聞きたい。
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# by mayu_0226 | 2011-03-26 08:59 | Comments(0)
しなやかに強く、手をかざしたくなるような

今わたしが恐れているものをひとしきり考え、ネットであれこれ情報収集した後、ところでわたしは何をそんなに恐れているのかと思った。起点に戻ってきた。
恐怖を心理的恐怖(「幽霊の正体見たり枯れ尾花」)と物理的恐怖(ナイフの刃がとがっていて怖い)に分けるとすると(厳密には恐怖の定義が先だけど、ちょっとそれはおいておく)、今世の中の空気を支配しているのは心理的恐怖だ。事実がわからない、けど、具体的な行動を起こす決定的な情報がない。

在日外国人と日本人は違う、会社に雇われた身分と自営の人も違う、けど日々の生活は流れていく、仕事は待ってくれない。「取りあえず」目先の日々をやり過ごすのだけれど、その判断に確信が全く持てない。

ねぇ、これでいいの? この非常時に「いつもどおり」で本当にいいの? 自分をごまかしてない? 自分のセンサーを麻痺させてない? 判断を誰かに委ねてない?自分の人生に主体的に関わる、ってどうすることなんだろうね?

かといって、一日中情報収集をしているわけにもいかない。他にすることだって、ある。


焦る。眠れない。全身の緊張が解けない。


そんな時、ひそかに憧れているある人の一通の返信メールが、緊張をすっと解いてくれた。
そうね、わたしたちはみんな、生まれた時から緩慢に死に向かっていた。いつか死ぬ、確実に。

何をそんなにおそれていたんだろうね。もっとどっしりしていていい。
肝が据わったメールを読み直して、そういう心構えが周囲へ安心として伝播していくんだなと思った。


大変な時、手をかざしたくなって、近づくとまた元気になれるような存在でありたい。


すっかり忘れていた。

しなやかに強く、どっしりと。

地震以来弾けないでいたピアノ、そろそろ弾けるかもしれない。
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# by mayu_0226 | 2011-03-25 16:36 | Comments(0)
すべてはこれから、今のこの状態はほんの「はじまり」に過ぎない。
地震の直接の影響と言えば、会社から2時間半かけて歩いて帰ったこと位で、都心区なので日々の停電もなかった(とは言っても、部屋にいる時に暖房は切って節電してるけど。停電対象地域の人、申し訳ないです、ありがとう。)早々に余震に恐れをなして、先週は1週間西日本の実家に戻って仕事をしていた。事態を見守った。物理的に離れることで、客観的に捉えられるかと思った。けれど、事態はさほど明確にはならなかった。とにかく月曜に東京に戻ってきた。自宅作業が多かった先週から一転、今週から通常業務に戻っている。みんな冷静になろうとしているけれど、でもどこか浮わっついている。「こんなのまだ全然たいしたことない」のかもしれない。それなのに緊張が解けない。

暗い街。
暗さはまだいい。この感じ、どこかで経験した覚えがあるなぁ、と思ったら、ヨーロッパ駅の町並み。先進国だってこんなものだ。むしろ今までの東京が明るすぎた。看板の明かりが消えて、都心でも星がよく見える。みんなで空を見上げればいい。

人々の表情。
不安げな顔。いつもよりも早く家路へ急いでいる、なのにどこかそわそわしている。それは鈍感なのか、あきらめなのか、周囲の人の「いつもどおり」態度を参照した上での横並び由来の安心なのか、「沈没する時はみんな一緒」。買占めだって、人々の不安の現れだ。状況があいまいで、でも何かをせずにいられない。けれど(寄付、節電以外に)今何ができるのか、表面的にいつもどおり仕事をしながら何ができるのかわからない。そんな気持ちが買占めに走っているように私には映る。いつもどおりに生活したら、不謹慎だと叩かれる。でもね、生きることそれ自体が本来、多分に不謹慎だと思うの。たまにおいしいものを食べることも、好きな人とほっとする時間を過ごすことも。普通に過ごせばいい、いつもどおり、普通に。普通に、を意識している時点で、もう十分「普通」じゃない、非常時だ。

今のこの状況、底が見えない。そもそも底なんてないか、あっても後々振り返って初めてわかるものかもしれないけれど。日々刻々と拡がっていく原発事故に、ひとつひとつのニュースに、わたしはダメージを受ける、受け続けている。

 -水は? 飲み水は?歯磨きの水は?お風呂の水は?髪を洗う水は?
 -野菜は?果物は?
 -魚は?

あのね、陸、空と海でみんなつながっているの。
原発の事故が毎日続々と公表されるたび、思う。250キロ離れていたって、風に運ばれて、水に乗って、ここまでやってくる。そういうものだ。
福島の事故は東京の事故、日本の事故。つながっている。


今できることは?節電、寄付、そして祈り? 祈れば何か変わる?わからない。


客観的であること と 楽観的であること。ふたつの両立、着地点。


すべては始まったばかり。
いまわたしたちは大きな転換点にいて、価値観を揺さぶられている。
捨てられるもの、守りたいもの。これまでとは大きく違う生活がこの先に待っている。
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# by mayu_0226 | 2011-03-23 16:58 | Comments(0)
(お願い)
Tさん、

ブログを読んでくださってありがとう。

わたしはいつも、読んでくださった方にとって、何かひっかかるところがあればとは思いながら書いてはいるのですけれど、全文まるごとコピーして、タイトルを英語のオリジナルなものに変えて、「わたし」を「ぼく」に置き換えて、最後の一文「かえるくん、力を貸してください」のみを削除して、自分のエントリーとしてアップされていることを知りました。それはまったく初めてのことで驚きました。自分のこの顔の人と街中で正面から出会ったような違和感です。めまいがしました。

ここのエントリーは私的な日記のようなものなので、まあ自由にコピペしていただいてもよいと思ってはいますし、ネット上に文章を載せる以上そのようなことも十分に起きえるとは思っているのですけれど、なにしろ個人的なメモですし、もしご紹介いただくのならば(それはありがたいことです)、「コピーしました」と書いていただけるとうれしいです。

これからもよろしくお願いします。
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# by mayu_0226 | 2011-03-17 12:23 | Comments(1)
3/11以降
3/11以前と以降で世界は大きく変わってしまった。
世の中の見え方がまったく違う。不謹慎な言い方をすれば、あのくらいの衝撃でわたしはようやく目が覚めた。

東京に住み始めてからもうずいぶん経つ。あらゆることを当たり前に思ってた、疑うこともなくこれが「普通」の生活だと思ってた。

けど、あの「便利さ」も「豊かさ」も、遠くの誰かの犠牲の上に成り立っていた。
本来享受していいのよりもずっとたくさんのものを受け取っていた。

・必要以上に「便利」で「豊かな」生活
・見えない誰かの犠牲の上に成り立っている都市生活
(原発の場所はごみ処理場、火葬場と同じ論理。必要だけど、自分たちの近くには置きたくない。できれば誰かに押し付けたい)
・上を見るときりがない、たえず欲望を喚起される生活

ヘリポートのあるマンション。地震でも止まらないエレベーター。四季の寒暖に関わらず、いつも快適な空調が保たれた生活空間。ねぇ、ほんとにそれでいいの?いつまで続けるの?

もう十分なのにもかからわず「もっと便利に、もっと豊かに。」と、麻痺していた。
気付いていたけど、聞こえないふりをしてきた。

今この時点でも、命を懸けて原発で作業してくれてる人がいる。そこで作られる電力は彼ら自身には直接必要でないものであったはずなのに、彼らの努力、犠牲の上に、わたしの今のこの生活があった。ねぇ、おかしくない?これでいいの?

足るを知る。
自然に敬意を払う。人間はそもそも「居候」させてもらっていたのではなかったか。

 -冬には冬のこごえるような寒さを
 -夏には夏の汗だくになる暑さを

しっかり受け止めて生活していけばいい。それなのに、四季折々の温度差がほとんどない空間の中にぬくぬくとあって、気付いた時には心も体も暴走していたのではないか。

自然の圧倒的な大きさの前にそんなことをずっと考えている。
山に登っていた時に感じたこと、電気もガスも水道も、今みたいにたくさんなくったって、人は生活していける。
そもそも今のこの生活は持続的でありうるのか。

金曜日のあの地震、各地で続くその後の余震、福島の原発。ずっとそんなことを考え込んでいる。
わかってたはずだ、ほんとうは、ずっと前から。生活を根本的に見直すタイミングなのかなと思ったりする。

まだ東京へ帰るのが怖い。余震も、パニックゆえの物資不足も。

今、何ができる? 何をしなくちゃいけない?
強い不安がある一方で、日本全体がこうした気持ちを共有しているように感じられることに安堵を覚える。


ねぇ、かえるくん、力を貸してください。
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# by mayu_0226 | 2011-03-16 10:21 | Comments(0)
時間の流れ
今朝はいつもと時間の流れがなんだか違う。徹夜明け、ふだんの1時間を10分位に感じて、朝時計を見た後、次にふと顔を上げると夕方だった、そんな流れ方。徹夜してないよ。脳みそ疲労?
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# by mayu_0226 | 2011-03-11 09:35 | Comments(0)
録画した自分を見るように

以前社内研修で(ダイナミックプレゼンテーションか何かの研修だった記憶)、プロジェクターの前に立ってプレゼンする自分を録画した映像を見て、自分のプレゼンを改めて客観的にとらえるという取り組みがあった。初めてみる自分のプレゼンは結構恥ずかしいものだったのだけど、細かい点はさておき、自分が出していると思っている声も表情も、自分が「この位相手へ伝わっているだろう」と思っているものと「ずれ」があったことが衝撃だった。
「ずれ」というのは、
 -思っていたよりも、自分の声は小さくて、
 -身振り手振りも小さくて、(ダイナミックプレゼンテーションなので、自分ではいつもより若干大げさにしたつもりだったにもかかわらず)
 -意識してなかったけど、姿勢はよかった

そういえば、演劇をやっている友達が、舞台の上では相当オーバーリアクションで振舞わないと、見ている人、客席の端に座る人に伝わらない、って言ってたのを思い出した。

プレゼンに限ったことではなくて、自分ではもう十分に相手へ伝えてるつもりでも、外からみると表情も気持ちを表す動作も、声すらも小さすぎて、しっかり伝わっていないってことはある。
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# by mayu_0226 | 2011-03-09 19:40 | Comments(0)
開く
ぴったりの話し相手を見つけた時に、人は自分の中にただひたすら眠っていたことばを取り戻す。生き生きと語り始める。
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# by mayu_0226 | 2011-03-07 19:36 | Comments(0)
おなじ風景、ちがう視点
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去年とおなじ菜の花畑へ。たまたま。

一年前この菜の花畑を前にした時、不安ゆえに高揚していた心持ちを不意に思い出した。

一年経って、今年もまた出会えた。菜の花畑の黄色の眩しさに「きれいね」と目を細められることに静かに感謝した。


隣に並ぶ人と自分とがおなじ菜の花畑を前にしても、ふたりが見ているものや感じ取っているものはおなじとは限らない。そんな前提に立って話をし、お互いが何を見ているかを共有していけば、世の中のいさかいも争いもぐっと少なくなる。自分とは違った視点をあたらしく取り込むことで、世の中はもっと豊かに生き生きと見えるようになる。

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「新しい音なんてどこにもない。鍵盤を見てみなさい。すべての音はそこに既に並んでいる。でも君がある音にしっかり意味をこめれば、それは違った響き方をする。君がやるべきことは、本当に意味をこめた音を拾い上げることだ」(村上春樹『雑文集』p.353)


深く深くまで潜りたい。
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# by mayu_0226 | 2011-03-06 09:47 | Comments(0)
メモ
消費ではなく、血肉。

一回性を届ける。想い、熱量。
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# by mayu_0226 | 2011-03-01 09:45 | Comments(0)
相似
出社時にホームで電車を待ちながら、今朝はなんだか心の中にろうそくがひとつ新しく灯ったような感じだと思った。


パリのノートルダム大聖堂に行った時、ろうそくが円形に並んでいた。暗闇の中、小さなひかりがゆらゆらと揺れていた。

人の心の中も同じで、短いもの長いもの、炎の大きいもの今にも白く細い煙を上げて消えてしまいそうなもの、赤い炎青い炎、そんなろうそくがいっぱいある。

あるろうそくは燃え盛り、あるろうそくの灯はふと消えてしまったり、またあるろうそくは限界まで灯ったあと燃え尽きる。どの瞬間を取り出してみても、いつも違うろうそくたちが揺れている。

そうしたたくさんの小さいろうそくが寄り集まって、人の生というひとつの大きなろうそくを構成し、その火を灯し続けているのだとおもう。
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# by mayu_0226 | 2011-02-28 19:44 | Comments(0)
帰り道に
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今日は暖かかったね。

部屋ではブーゲンビリアが桃色に色づき始めてるけど、帰り道にふと。

今日の気分は黄色。その時探してる色はいつも不思議とすぐ見つかる。
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# by mayu_0226 | 2011-02-25 19:48 | Comments(0)
空気が暖まる

先日仕事でのとあるワークショップ。初対面の人を含め6名のチームを作る。ため口で話すというルールが、人見知り傾向の私にとって思いの他ハードルが高い。人との距離において、ことば(フォーマル/カジュアル)を巧みに使い分けていることを実感する。

アイスブレイク(雰囲気作りのウォーミングアップ)として、「ペアになった人のいいところを全体に紹介する」というアクション。偶然隣になった人とペアになって5分で自己紹介をしあう。その後、司会の人「『今日、この人に会えてよかった、この人と同じ時間を過ごせてよかった』と思えるように、隣の人のよいところを紹介してください。」え、ハードル上げるね。。。

紹介される方は、多少誇張された、それでも核心は掴んでいる、時には、話の中からイメージしたその人の姿(「そんなことさっき話してないのに、勝手に作ってるよね」という隣の人の驚いた顔もあった)自分の自己紹介を隣の人から聞き、一様にうれしそうに、でもちょっと恥ずかしそうにしていた。初対面の人に自分を「ほめられる」んだもの、ちょっと照れるよね。男女ペアのチームは、恋に近い空気すら生まれていて、男性が照れて下を向く姿がほほましかった。

車座になって紹介が進むうち、全体に不思議な空気が生まれ始める。「ハードロッーカーみたいなごっつい格好で怖そうにみえたけど、それはバイクが大好きだからなんだね。でもそこまでバイクに夢中なのは素敵だね。納得」「強そうに見えるのに、いつも相手を受け止めることができる器の大きさって素敵だなぁ」

「なんだか素敵」「へぇ、外見から受ける印象と違ってそんな一面があるんだ」の連続。参加者の人へのまなざしが変わっていく。そして全20名位の紹介が終わる頃には、初対面の人たちの間に漂う独特の緊張感はすっかりほどけ、その場の空気が熱気を帯びていた。「ああ、なんだか、今日は素敵な人ばかりが集まっているみたい。一日楽しく過ごせそう」

20分程度の不思議な体験。その場に生まれた、前向きな、暖かい空気は、その日の空気を規定した。その日中ずっと続いていた。朝に始まって夕方まで続いたワークショップは、参加した人のいいところに光があたり、いい議論ができた。

このアイスブレイク、数人を取りまとめる場面で今度ぜひ試してみたい。
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# by mayu_0226 | 2011-02-24 21:49 | Comments(0)
蜘蛛の目、記憶

記憶って蜘蛛の目、シナプスみたいなイメージがある。
ひとつのボタンを押すと、気付かなかったボタンが点灯する。「ああなるほどね」というボタンもあれば「え?そことつながってたの?」というボタンもある。

それは想像を超えたつながりで、しばらく奥で眠っていても、ふとした瞬間に眠りから眼を覚ます。

「ようやくのことでやっと」あるいは「気がついたらいつの間にか」、どちらにしても、とにかくその時点まで忘れていたことを芋づる式に思い出す。うれしかったことも、悲しかったことも。今は過去とつながっている、今は未来とつながっている。ひとつの流れの中にある。

過去に最新の情報が新たに加わって、更新されることで、忘れていたことをあれこれ思い出す。忘れていたこと、はつらかったことの方が多い(根本的には、楽観的な性格なんだね)。

そんな時、特定の記憶をピンセットでつまみ出し、Deleteボタンを押すように消去できたらどんなにか楽だろうと思うことがある。
「XXの記憶を消去します。プチン」

うれしかった気持ちだけ思い出せたら、どんな感じなんだろうね。
 励まされる、顔がほころぶ、深呼吸してもうちょっとがんばってみようかと思える

悲しかった気持ちだけ思い出せた、どんな感じなんだろうね。
 何度も何度も涙を流す、眠れない夜を過ごす、思い出すことで記憶が強化されてさらに忘れられなくなる。

どちらの一色でもなんだかしっくりこない。生きている感じがしない。うれしかったこと楽しかったことと、悲しかったこと怒りを覚えたことは、ごちゃ混ぜに眠っていることで、それぞれの気持ちの「違い」が色分けされている。性格や学力と同じように、ものごとは相対的に決まってるものなんだろう。うれしかったことと悲しかったことは、そんなにうまく切り離せるとも思えない。それは、蜘蛛の目のようで、ひとつの糸を切っても、周囲から伸びる無数の糸のつながりがあって支えられて、簡単に壊れない。

それでも、悲しい記憶を思い出さないように、やり過ごす方法があればいいのにな。


という思いそれ自体を消してしまいたいね。パチン。
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# by mayu_0226 | 2011-02-16 21:01 | Comments(0)