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風と小人
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美しいもの、きれいなもの、好きなものに触れると心が動く、その瞬間に近づきたい。好き:ことば、心の動き、音。

by mayu_0226
働きかける

「自分の投げたボールに対して相手がどう反応するか」のデータベースは、相手とのやり取りの中で蓄積されていく。もちろんこれまでの人間関係の総量からの補助線で推測できる部分もあるけれど、基本的には「その人との個別の関係性」に依存する。

ネットに投げ込まれる他の人の言葉を眺めていると、心が痛んだり、揺らいだりする。自分の痛みのように感じられることがある。
過去の自分の気持ちをありありと思い出して、涙を流しそうになることがある。

彼らは自分の一部なんだとすら思う。わたしはあなた、あなたはわたし。

でも、そうした自分の中での反応の後、具体的な行動に出ることができるかは、決定的に違う。

ネットで知り合っても、何回か会った人は、知り合いだと思う。ネットなどなくてもつながっている友人知人に対するのと同じ気持ちを抱く。
「迷惑だと思われるかもしれないけどでも、どうしても気になるから、声をかけてみよう」と(私なりに勇気を出して、何度も考えた末に)メールや電話をしてみる。
でも距離や表情が読みにくいから、たった一言のメールを送るのに、文面や心の準備に数分かかることがある。(一言だけ送ればいいのに、過剰に装飾するあまり、ぼやけてしまうこともあるけれど)

ネットでやり取りしていても、直接会って同じ時間を過ごしていない人とは、最後の最後で距離がある。踏み出せない。
「そうね、そんなこともあるよね。大変だね。近くの人に支えてもらえるといいね」と、心に引っかかりながらも具体的な行動は控えてしまう。結果として「スルー」してしまう。それはまるで、道端でうずくまって泣いている人がいるのに「あ、今忙しいんです、ごめんなさい」と黙殺して通り過ぎる際に生じる痛みと同じものを感じる。

手を差し伸べるかどうかが大きく違う。閉じているのかな、壁があるのかな。でもね、心に留まったひとりひとりに個別に「ねえ、元気?」って声をかけてあげる方法を私は知らない。
そんな時には、影からわたしは見守っています、そこのあなたへ届くようにと思って言葉を送るけれど、送ることができているか相手へしっかり届いているか、自信がない。

かと言って、ネットのつながりなしにやっていけるとはもうなんとなく思っていない。経験値が溜まれば、ひとつひとつのコミュニケーションの距離の取り方にも慣れてくるのかな。
by mayu_0226 | 2011-01-14 22:08